A 白河市(MS姉妹)2016/9/14

昔、私の家はお蚕を飼っていました。幼い私は人見知りで、小さい頃の記憶はあまりありません。父は真面目で良い人で私は尊敬していました。しかし、酒が入ると暴君になり、関わらないように私は早く寝てしまいました。

お婆ちゃん子の私は、田舎の自然が大好きでした。そして、いつも農家の手伝いをしました。しかし、中学3年に頃に不登校になってしまいました。その頃に父は立正佼成会に入り、壮年部長までなり活躍をしていました。

高校に入ると私は一変し、学生生活も楽しく積極的になり生徒副会長もやり弁論大会では優勝することもありました。その後、足立区のスーパーに勤めた時に路傍で伝道されました。

信仰に歩む父の姿を見て「神様は信じられる」と私は思っていました。故に、伝道されても抵抗はありませんでした。伝道してくれた霊の親は、必ず寮まで送ってくれ手紙まで渡してくれました。

原理講義では、堕落した事実、復帰摂理、とくに文鮮明先生の路程に感動しました。半年後には、会社にきっぱりと退社することを伝えてみ旨に献身しました。機会を得て100日修練会の食当も致しました。

しかし教会生活で限界が来て白河に挫折して戻ったのです。千葉在住の旧友に教会の事を相談します。その時知ったことは、彼女は教会のメンバーでした。私は高校生の頃から、統一教会とは知らずに通っていたことには驚きました。

念願かない、文鮮明先生にお会いできたのは16万女性修練会の時でした。私は既成の結婚をしていました。しかしそれさえも、振り返れば神様の導きであったと実感致します。

感謝

▲TOP