C 庄司戻しの桜

11世紀頃の信夫庄司大鳥城主、佐藤基治ゆかりの桜です。源義経を助け、二人の息子を義経に従わせるため、この地まで送っています。                    (白河『桜マップ』より)

伝承によれば、治承4年(1180)に源義経が兄頼朝の平家追討の挙兵を伝え聞いて平泉から鎌倉へと向かった際、信夫庄司の佐藤元治が、子の継信、忠信を義経に従わせ、この地まで見送り、この地から引き返したので「庄司戻し」といわれている。

「汝らが、君義経に忠なれば咲け、不忠なれば枯れよ」

「諺に人は一代、名は末代という。名の汚れたのは永遠に雪ぐことはできない。およそ生あるものは誰でも命は惜しいものだ。しかし名を惜しむのは命以上である。決して名誉は忘れてはならんぞ。」そして携えてきた桜杖を路傍にさしていった。「吾児君に忠なれば生きよ、もし不忠なれば枯れよ。」

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