紙上説教 2017/6/25

”ヨハン・セバスチャン・バッハの交響楽の中にに“マタイ受難曲”があります。イエス様に対するペテロの三度の否認の場面が登場します。

鶏が鳴くと主は後ろを振り返えられ、ペテロと眼差しが交わされたのです。この交響曲は、ペテロに代表される人間の弱さを表現したものなのでしょう。再臨主とは、まさしく”真の父母様”のことであられるのです。そして父母と共に家庭を取り戻し平和を築く、“世界平和家庭連合”なのです。

イエス様に見る生き様、弱き人々に心情を注がれる倫理観と自分を比べてみると、私たちは自分の足りなさを見出し自分の罪深ささえ感じるのです。その罪を見出した時に、イエス様の十字架上の救いを感じるのです。今日は、真の父母様の人類の父母としての生き様の中に”救い”を見出すものなのです。

「空」とは「無我」の境地であり、「無心」になるということは「み意のままに」ということであり、イスラム教の「ィンシャラー」ことなのでしょう。

ペテロは絶望の中に、復活したイエスにすべての希望を見出したのです。人は人生の価値を疑い、絶望感に打ちひしがれるものです。その時にこそ”真の神様”に出会い、”真の父母様”に出会うのです。

真の母である”韓鶴子総裁”を迎えての、東京大会そしてタイ国での青年大会でした。また全国各地で2017年末までに大会が準備されてもおります。

『神の国』には、私が住まう多くの部屋があるというのです。賀川豊彦は神様はすべての人を養う沢山の乳房があると訴えました。このように人々は、神様の住まいや“永遠の乳房”を、求めるのです。      

祈り

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