紙上説教 2017/5/21

文鮮明先生のみ言に『聖書は人間が完成するためにあり、歴史が完成するためにある』というものがあります。全宇宙の運行そのもの自体が、私の愛の完成のためにあるというのです。親である神が、私のためにあるという信仰に基づく人生観を私たちは持たなければなりません。

旧約時代、神を見た者はいませんでした。神を見た者は死ぬと思われていたためです。シナイ山で燃える柴の中にモーセは神様と出合いました。彼は神の呼びかけに顔を上げることができなかったのです。

モーセは神から石板を通じて、直接に十戒のみ言を受けました。そして、柴の棘は神様の苦難の民を見つめる神の痛みを象徴し、燃え尽きない炎は民を思う神の愛を意味しました。『モーセよ!お前も同様であろう』と示したものなのでしょう。やがてモーセを導いた神は、彼を通じてヨシュアをも祝福しました。

イエスをヘブライ語ではヨシュアと発音致したのです。マリアはミリアムと言いました。

文鮮明先生には「私は神から印を推され直接にみ言を受けた」という確信が根底におありでした。

『イエスは光であり言(ことば)であった』とヨハネによる福音書では主張します。“真の父母と成約時代”のみ言は、聖霊の実体であられる真のお母様を通じて宣布されたのです。そして2020Visionによって、その理想天国である“天一国”が顕現するのです。

私たち祝福家庭自体も、真の父母から直接に愛され真理のみ言を受けたのです。 

祈り

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