礼拝8/6
サマリアの女がイエスにお会いし、彼が永遠の命の水を与えるメシアであることを知りました。異邦人でしたがそのことを告げに人々に伝えました。彼らはイエスの下に集まってきました。そして「自分自身で親しく聞いて」と直接メシアに出会ったのだと証をしたのです。
“喜び”は無形であろうと実体であろうと対象の性相と形状とを自体に相対的に感知する時に生じるのです。無形なものよりも実体からはより大きな喜びがあるのです。文鮮明先生は、私は神から直接み言を聞いた。約束の印を結んだのです。空前絶後の“真の父母様”なのです。
私という存在や世界は真実なのでしょうか。堕落した世界なので、聖徳太子は『世間虚仮、唯仏是真』といい、キリスト教では価値なき世界だと主張します。それに対して、現実の世界はそのままで真実だと主張する人々もいます。家庭連合の主張は空理空論ではないのです。理想的現実者なのです。堕落の偽りの世界を打開して、真実の世界を実現するのです。
ではその世界の実現のためには祝福式が絶対に必要なのです。そして、生涯を終えて死を迎える時には聖和式が必要です。聖和という祝福なのです。真のお父様は、真の父母の実体を求めてきたのです。無形なる神様の顕現です。
子女たちは真の父母を慕い侍る生活の中で、自動的に完成するというのです。 祈り