紙上説教 2020/8/30
≪紙上説教 2020/8/30≫
文鮮明先生は「信仰生活をする人には瞑想の時間が必要なのです。良いことを思い描きつつ瞑想をしなさいと言うのです。瞑想をするときは、心の門を開け放ち、心を丸くして、神様ならば神様を中心として、神様の本性と私の本性が完全に授け受けできるように、春の季節に該当する人であれば春の季節の主体である神様と共にその性稟が、完全に共鳴できる心の姿勢を持たなければなりません。」(1971.2.7)と語られました。天聖経のみ言は、神に聞かれる為には、サタンと関係のない所で祈りなさいと言うことなのです。
神様はステパノを始め、信仰と聖霊に満ちた七人を探し立てようとされました。そして今、真のお母様は“七つの国”を立てられたのです。そしてこのステパノに対抗する者はいなかったのです。しかしこのステパノが、最初の殉教者でした。このステパノを迫害した張本人がサウロでした。神様はサウロを召命し、神によってパウロと称するようになりました。神様がパウロを創りかえられたのです。天地を創り給いし神は、私をも創りかえたのです。これが『改心』と『回心』との違いなのです。回心とは、完全に心を神に向けることです。
私たちの信仰生活は『自己犠牲と自己否定』を要求します。神仏に永遠の命に出会った者は、必然的に為に生きる人生を歩み始めます。それが『無一物中無尽蔵』という悟りです。つまり、「神がすべて備えて与えて下さる」という生き方なのです。自己否定は、自己肯定するためにあります。また「悔い改める」のは悔い改める必要のない自分になることに他ならないのです。そして神様と共にある自分を誇るのです。故に聖書は、「誇る者は主を誇れ」というのです。
祈り