紙上説教 2020/8/23

≪紙上説教 2020/8/23≫

 

 私たちは『主に属する者』であり、キリストに生き、倣い従う者たちなのです。私たち祝福家庭は、真の父母様の愛の懐に抱かれて、その愛の中に生きる者たちです。父母の愛を離れては生きることがでないのです。

へブル書でモーセに示された天の幕屋がひな型であり、地上の幕屋はその影であるというのです。信仰とは望んでいる事がらを確信することだと言うのです。神様が、すべて添えて与えて下さるという信仰が必要です。

松尾芭蕉は礼装をして白河の関を越えて行きました。芭蕉は『古池』の句で得た新たな心の境地(風雅)を『奥の細道』で試したいと思いました。“古池や 蛙とび込む 水のおと”とは、古い池に蛙が飛び込んで水の音が聞こえた意味ではありません。逆に、蛙が飛び込む音を聞いて、古池が芭蕉の心に浮かんだのです。芭蕉は俳句を詠む風雅の境地を弟子に語りました。芭蕉の心は『虚』の世界にあったのです。俳句の言葉は「虚に居て実を行うべき、実に居て虚に遊ぶべきではない」と弟子に諭しました。俳諧は風雅の世界(虚)に心を置き、現実の世界(実)に遊ぶべきだと言うのです。現実に身を置いて、風雅を気どるものではないと戒めたものなのです。

天聖経のみ言は『生活の中で神様と同行』するべきであると語ります。それは私たち祝福家庭が天の父母様の世界に生きて、現実の生活を消化し変えていくべきであるというのです。

『天宙平和統一国』はすでに実現しているのです。イエス様は「天国は求める貴方のただ中にある」と述べました。天の父母様の中では、天一国が実現するのは決定なのです。そして、それを実現していく百万人前進大会なのです。『天の父母様聖会』なのです。

祈り

 

 

 

 

 

 

 

 

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