紙上説教 2020/7/12

≪紙上説教 2020/7/12≫

ここで言うところの“不安”とは何でしょうか。私の心は貴方に伝わっているのかということから起きます。『私の祈りは神に届いているのか』というものです。どのような苦境に立ったとしても、神がご存知であるならば”平安”があるのです。また唯一人であっても私を理解してくれる人が居れば、どのような試練でも越えていけるのです。

祈祷の失敗は信仰者にとって、生涯の失敗そのものです。祈りは恩寵そのものです。それは取りも直さず、神の御業であるみ旨に加担することです。祈りは最大な力であるという味わいを体験しなければなりません。

“ご無事で”という姿勢は、神仏に守られているということなのです。自分の内に全てが満ちていて、他に頼り求める必要がない状態のことです。祈りを通じて得ることのできる『明鏡止水』という心境でもあります。

日本の歴史における『真の教育者』と言われる人の資質があります。それは年少者に対する深い愛情心と、彼らから信頼を勝ち得る誠実さを備えていることです。まさしく真のお母様はそのような資質を持っておられます。それが、全人類の母たるゆえんです。つまりは、すべての人に善意と愛情を抱き得る人が真の教育者と言えるのです。

『個人』とは神の“かたち”に象り創られた個性真理体であると原理講論は説きます。故に、神と同じ価値があるというのです。「私」(わたくし)とは、“我が田圃にクシを刺し”境界をつくることに他なりません。私を忘れて、為に生きる人生であるべきです。

文鮮明先生、韓鶴子総裁お二人の『自叙伝』に見る生き方を学んでいる私たちです。天の父母様に似た真の愛の主人とあるべきです。天の父母様聖会に属する私たち祝福家庭であるのです。

祈り

 

 

 

 

 

 

 

 

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