紙上説教 2020/11/22

≪紙上説教 2020/11/22≫

 

 ヨブ記のテーマは『義人は何故、苦難を受けるのか』です。また、「苦悶する者はどこで神を見出すのか」が問われるのです。み言や祈りの中で、牧会や食口を通じて答えを得ることがあります。しかし往々にして教会ではなく、自然を通じて神の答えを見出すこともあります。

そしてその信仰告白は、「今や私の目で神様を見ます」というものです。

天聖経のみ言にあるように、真の父母様は祝福家庭の王として顕現されました。そして、天宙平和統一国・天の父母様聖会の王の立場にも立つのです。このような天宙史的な神様のみ業を、私たちは耳で聞くのではなく目で見ることができているのです。

下重暁子『家族という病』“家庭は危険なところ”『夫婦という他人』“結婚を捨てる勇気”など書籍があります。斎藤学『家族という名の孤独』“家族の仮面がはがれるとき”『夫婦という幻想』“なぜ、結局いがみあってしまうのか”など、家庭を否定的に捉えるものが少なくありません。故に、金美齢女史は、『家族という名のクスリ』“家族ほど安らぐ場所はなく、夫婦ほど支え合える関係はない”と逆に主張せざるを得ませんでした。しかし、多くの人々は同意しているとしても少数派です。リベラルメディアの論調は家族に対してはとても否定的です。

 教会の先輩は『家庭はメシヤ』と、いわき家庭教会で語られました。家庭の構成員はもちろんのことであり、神氏族メシヤである祝福家庭は救いそのものです。そして今第二地区で行っている『家庭書写会』は、そのメシヤの“業”に他なりません。しかしその“神の業”が現れるためには、“灰の上に座す”ような「真の悔い改め」がなければならないのです。

 

 

 

               

祈り

 

 

 

 

 

▲TOP