紙上説教 2020/10/18

≪紙上説教 2020/10/18≫

 

 天の父母様に誓ったことは必ず果たさなければなりません。無一物で生まれた人間は何も持たずに帰るというのが真実なのです。人は父母なる神に出会い、許され愛されている自分であることを知らなければなりません。

聖賢アウグスチヌスは「愛せよ、そして貴方の欲することをなせ」と言いました。またアッシジの聖フランシスコは、「兄弟は太陽であり風、姉妹は月であり水である」と言います。私は神の愛に浴して、その愛の世界に生きるのです。そのために私たちの家庭もあるのです。

私たちが伝道するにあたって霊界が働いたという“証し”が絶対的に必要です。また神氏族メシヤの活動は、赦されない私の罪が洗い流されていくために準備されたものでもあります。マグダラのマリヤに「貴女の多くの罪は多くを愛したので赦されている」とイエスは語りました。そのように、天の父母様の氏族として私の氏族を愛するのです。

『明鏡止水』のように、鏡のような水(心)に月(神)を写さなければなりません。神の愛の自然と世界に浸り、自分の内なる心の世界から家族や氏族を見なければなりません。“悔改め”とはそのことを言うのです。信仰の道の中で、神様は私に“与えるために奪うのであり、重生(新生)させるため打ち壊すのです”。私が神に出会ったときの、「魂の頂」「魂の根底」に立って見なければければなりません。

祝福中心家庭である私たちの心の境地とは、真の父母様と共にあるというものなのです。今までの人間は、誰も会うことが出来ず、真の愛に触れたことがなかったのです。その愛に浴することを許された者たちなのです。神が愛の故に与えた私の人と環境であることを知り、自分の傲慢さや我を葬り、神様の豊かな命の流れを感じなければなりません。それが、神様がくださる私に対する『愛の摂理』にほかなりません。

祈り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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