紙上説教 2020/10/11

≪紙上説教 2020/10/11≫

 

 ヨブのように「忍びぬいた者は幸いなり」(ヤコブ5/11)と聖書は語ります。このように、私たちは天の父母様が全能であることを直視して実感すべきです。そして、神の働きに対する信頼の乏しさ、信仰の乏しさを知らなければなりません。天の父母様は子女である私と片時も離れず、見つめ守られ慈しみ、そして誇り喜ぼうとされるのです。神を希求し応答を体験した者のみが、ヨブ記を読むことができるのです。いったい誰が、“白河のヨブ”になることができますか。原理講論“終末論”の中に「終末に処している現代人は、まず謙遜な心を持って行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならない」と言います。私たちは、父母なる神様の全能性と心情とを知るべきです。

存在(至高の知恵と崇高なる美)の背後にある『或るもの』を知る知識と情感こそが、宗教精神の中心であるとアインシュタインは言いました。すべての存在の背後には、幸福の源泉である天の父母様がおられるのです。

懺悔(ざんげ)とは、許しを請いお詫びすることです。悔改めにともない、起こってきます。悔改めには必ず懺悔が伴います。

「過去の自分は人の事を考えず、自分中心に生きてきました。それにもかかわらず、私と離れず許し愛し大事にしてくださいました。本当に申し訳ありません」との心情になるはずです。人は真の神様に出会うならば無条件の感謝をするようになります。

聖書の中の“放蕩息子”は、変わらぬ父の愛の前に「神様と父の前に罪を犯しました」と言ったのです。それから自分に対しては悔いるのです。彼は無償の愛の前に罪人であることを知ります。

私たちは、すべての人に聖霊の実体であられる真のお母様の愛を宣べ伝えましょう。

祈り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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