A 石川町(YK姉妹)2016/8/31
私は山奥の酪農家の三人姉弟の次女でした。大好きな父に似て私はのんびり屋です。優秀な姉に比較をしては、ひけ目を感じていました。
親が決めた結婚をした母は常にマイペースです。生活の為には働こうとはしない父とは喧嘩が絶えませんでした。嫌々ながらも、仲裁に入るのはいつも幼い自分でした。
姉は母に似て現実主義者です。父は叶えられなかった海外渡航の夢を私に託したようです。私は高校から農業短大に入ります。父の影響で、短大の時に酪農先進国のデンマークに一年間留学しました。明確な目的もなく、交流も苦手でやがて自分に無力感を感じて落ち込んでしまいました。
留学の終わり頃、大好きな父が末期癌と知らされ驚き帰国しました。父は私の帰国待つように、僅か二週間で他界してしまいました。私には無力感と脱力感だけが残りました。
クリスチャンの叔母が来て「信じれば救われます、イエス様を信じますか」と突然と言うので私は驚くばかりでした。
その後統一教会には、短大の友人に誘われました。最初は話を聞いてくれて居心地が良いだけでした。しかし、2日修練会4日修練会でのイエス様の生涯に感動し終日涙止まりません。私の罪を背負い十字架のイエス様の姿が浮かぶのです。
それから文鮮明先生のご生涯を聞いて、先生と父の姿が重なりこの道を行く決意をしました。決然と、み旨に自分から献身し、それ故に母をとても悲しませてしまいました。
1988年に6500双で韓日の国際祝福結婚を受けました。韓国人の夫は言葉も通じないのに一週間、一人実家で両親に尽くしてくれたのです。やがて母の恨みが解け、息子以上だと言って近所や親戚にも紹介してくれました。本当に、神様の導きを感じます。
感謝