A 矢吹町(TA兄弟)2016/7/13

私は1988年に誕生しました。未熟児で、三度も肺炎を患い死にかけました。しかし、神様の導きと両親の精誠のお陰で死ぬこともなく後遺症もありませんでした。考えれば障害物の叔母さんがすべて蕩減を背負ってくれたお陰と思いました。

小学生の頃は虫が大好きで、私は“昆虫博士”と呼ばれました。ピアノ演奏や音楽も好きで、昆虫図鑑を読んでは赤トンボ゙を追いかけました。小6年の時には、教会のサマースクールに参加して、韓国釜山の風一堂小屋(ボンネコルー)や新旧の教会本部を訪ねました。

それから7ヶ月後に東日本大震災が起きました。私は思わず“神様!”と叫んでいました。二世達は福島から千葉修練所に避難し、そこで修練会にも参加しました。その中で、兄弟姉妹に愛されその素晴らしさを知りました。それが私の信仰の原点になりました。

中学ではジュニアSTFに参加しました。聖和式に参加し、お父様にお会いすることができました。中和文化祭での原理講義、グリーン修にも参加致しました。

しかし高3年になり、心情が落ち込み辛い悶々とした日々がありました。為に生きること言っても、限界が来てしまいました。その時は神に祈るしかありませんでした。

すると私は『神の為に生きるより共に生きて欲しい』との神の声を聞いたのです。今年の3月、祖母が長年の思いのすべてを孫の私に話してくれました。私はお婆ちゃんにも神に出会って欲しいのです。私は、み言を中心として信仰と信念を持って生きたいのです。      

感謝

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