A 矢吹町(AT姉妹)2016/8/3

私は昭和34年の大晦日に鳥取に生まれました。お爺さんが私をとても愛してくれました。祖父の家系は鳥取の城の守った家柄で、祖母の家系は馬回りをしていたようです。

お婆さんは頭が良くて、無口ですが先祖供養をとても大切する人でした。私の両親の離婚の危機があり、この家は自分が守ると両親を諌めてもくれました。

幼い頃の私は、弟とよく喧嘩をしました。そして涙した時『これは神様の涙である』との声を聞きました。それから私は『神様泣かないで』という歌をつくったことを記憶しています。

モルモン経の宣教師に「神様はどこに居るか?」と尋ねられたことがあります。「私の心の中に居られます」とはっきり応えるような娘でした。

しかし、従弟の死で人生を考えはキリスト教会や天理教に通うようになりました。心の内面で葛藤しながらも、就職は皆を喜ばせるバスカイドになることを決めました。しかしいつしか、自分の限界を感じ始めました。まさしくその頃に伝道されました。

修練会参加した私は「神様と先祖を解放する」と決意しました。親戚の反対がの中でも、一緒にみ言を学んでくれた母が母子協助して支えてくれました。

一度私が信仰の限界に来た時、「神様と人類の為に歩む青年がいます」とのお父様のモスクワ大会の映像を見て大泣きしました。この時、お父様が私の父になり私が娘になったという実感を持ちました。その時に『冬のバラ』という歌をつくり、『香しいい馨』との歌詞がありました。祝福を受けてみると、主体者の名前が『馨』でした。夫はその頃、21日修練会に参加しており驚くばかりです。

感謝

▲TOP