B 白坂(KM兄弟)2017/1/25
私は27歳の時に伝道されました。交通事故で一週間入院したことがあります。その時に病室で聖書を読んだのです。その際、マタイ7章7節「求めよ、さらば与えられん」との聖句が私の心に残りました。そのようなことから、私は聖書について、永遠の世界である霊界にも関心を持つようになりました。
私を伝道してくれた霊の親は学生でした。彼から紹介を受けて巣鴨のセンターに行くことになりました。その場所を私は知っており、彼よりもバイクで先に着いてしまいました。
それからはセンターに通い、時にはVTRを受講すると終電に間に合わないこともありました。バイクで全国放浪の旅をした経験のある私は、抵抗なく寝袋でセンターに泊まることさえもありました。一ヶ月も経つと、見るVTRが無くなってしまいました。そこで、センターの人に修練会に参加を勧められました。
中華料理店に勤務し店の鍵を預けられるほど信頼され、私は責任を持たされていました。しかしながら、忙しく困難な中で奇跡的に導かれ参加することができたのです。
1985年から92年までみ旨に献身して、世界日報で7年間働きました。1988年の6500双祝福の受けた時に、ソウルの龍仁で初めて相対者に会いました。妻の写真を渡されましたが、しかし当の本人が居ないのです。妻は日本にいて祝福が決まったことを知らず、遅れて渡韓して会うことになりました。直接に会って話してみると、お互いの性格は互いに180°違います。
複雑な私の人生を振り返ると、この妻がいて今日まで来ることができたのだと思います。第一子が流産した時に、お父様の啓示的な夢を見ました。その夢の中で文鮮明先生は『心配することはない』と語られるのです。そして次子は女児で誕生する日まで先生は教えてくれたのです。
水沢里の男性修練会で直接に先生にお会いしました。今日まで自分が困難で悩んでいる時には、いつもお父様が教え導いてくれるのです。
感謝