B 矢吹町(KT兄弟)2017/1/22
今回、真の父母様との出会いの証しをさせていただく機会を得て自分の意識が整理されました。私は水沢里の男性修練会で直接に文鮮明先生にお会いしました。家族7人で家庭訓読する中、真のご父母様がいつも助けて下さるのです。そのためにはまた、原理的な生活が必要なことを感じます。
私は須賀川の本屋で『方位学』の本を読んで興味を持ちました。それで真冬に観光客の居ない日光に行き“いろは坂”を歩いて帰ることさえありました。その1984年の時が最初で“岸”氏に伝道されました。
神奈川の宮崎台での4日間の原理修練会に参加しました。またその頃、“孝進様”来日に際して大会にも参加しました。教会に飛び込むと、家族と4年間は音信不通にしていました。家族は心配して福島に連れ戻しました。その後の私は、3年間はニート生活でした。
ある日郡山の書店にて那須先生の『牢獄の救世主』を購入しました。それを前後し、1989年仙台で再び伝動されました。しかしキリスト教書店にて批判書を読み、私の心は揺らいで躊躇してしまいました。
そして三度目、伝道されたたのです。私はみ旨に献身し、世界日報社やVOCで活動しました。千葉県銚子市での“韓鶴子総裁”大会には思い出があります。それは私が大会当日、急に私が大きな横断幕を造ることになったのです。
半生を振り返ると、常に私の心の中には真のご父母様がいらっしゃいました。父母が苦労の道を歩まれたのだから、私もまた苦労の道も行かなけらばならないと思います。お父様は“過ぎれば神の愛”と言われました。祝福を相続するためには良いものだけでなく、負の部分も受けなければなりません。私は神が訪ねる地の義人の一人になりたいのです。
感謝