B 白河市(MT兄弟)2016/11/30
私が文鮮明先生に初めてお会いしたのは、27歳で祝福を受けた時でした。24歳で伝道されて3年目の時でした。その頃は、漠然と文鮮明先生はメシヤなのかと思っている程度でした。
祝福は意外とスムーズに妻とを受けました。その後九州で約1ヶ月活動します。大分に異動する時に渡米の願いを受けました。急に渡米すると、先ずはニューヨーカーホテル(国際宣教本部)での研修がありました。その時分は、文先生がダンベリー収監されて1ヶ月を経た頃でした。
私たちは、第一弟子の金元弼先生から教育を受けました。それから私はコネチカット州に配属されました。そこの教会は3階建の教会で、世界の食口と共に英語の学習をして生活しました。活動は余剰物資を貧困層の人々に届けるというものです。私は仕事は、大型トレイラーの運転をすることでした。
時には、伝道のためにVTRを見せるキャンピングカーの運転もしました。しかし私は観光VISAで活動したために、自主帰国を余儀なくされ私は、7日間拘留されました。お父様の入牢の時期で同じコネチカット州のことであり、お父様の心情を身近に感じることができました。その時、私は本当の統一教会人になりました。
その年の暮、クリスマス恩赦で出られたお父様とマンハッタンセンターの地下で『神の日』を迎えることが思い出です。私自身の苦労もありましたが、ひとえに妻の支えで今日まで歩むことができました。
感謝