B 白河市(CM姉妹)2017/2/1
1987年1月に、私は仙台市の作並温泉で3日修練会に参加しました。初めて見た文鮮明先生のお写真は、警察勤務で柔道をしていた祖父に似ているとの印象を受け親しみを感じました。
主の路程の講義の中で、『長い歴史の中で、主は貴女一人を救うために来られた』という言葉が残りました。そうすると私は感謝と申し訳なさとで涙が湧いてくるのでした。フルタイムメンバーとなった一年間のファンダレージングでは、『堕落人間に否定されてきた神様』の姿が思い浮かび涙することが多くありました。
私が文鮮明先生に実際にお会いしたのは、36万双の祝福式と16万女性教育の時の二回でした。3万双では祝福を受けられず、36万双の時に祝福を受ることになりました。祝福の相手の写真の入る封筒を開見みました。不思議にも、彼はどこか自分に似ていると思ったのです。それから3年間は、韓国と日本とで文通で交流しました。心の内面までも似ており、天はすべてを御存知であり私に相応しい人を準備してくださったと実感することができました。
主人は女性のようにやさしく繊細な人でした。しかし、突然に主人が病気になってしまいました。清平の祈祷院に参り快癒を願いました。大変な事情と環境でしたが、大母様の祈祷室に入ると『よく来たね』との文鮮明先生の声が聞こえたのです。お父様はいつも私と私の家族とを見守ってくださるのです。
また善霊堂を授かる時には、先祖の声が聞こえるという不思議な現象がありました。そのお堂の中で、夫婦と子供たちとが戯れて踊っているという夢をその晩に見たのです。
夫の聖和から10周年になります。その式典の時に夫が霊的に来られていると姉妹がしらせて下さいました。夫はハングルを話し、霊界で活躍しているに違いありません。私は彼の妻として、彼のやり残した分も果たしていきたいと思います。
感謝