D 結城宗広公
結城宗広は、白河結城氏の祖、祐広の子で、今から約680年前の南北朝時代に鎌倉幕府討伐などに活躍した武将です。元弘三年(1333)、後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐の命に従って鎌倉を攻め、幕府を滅亡させ、建武の新政では陸奥国支配の重要な役割を担いました。
その後、宗広は後醍醐天皇と対立した足利尊氏の軍を京都などで破り、北朝(尊氏側)の成立後も陸奥国の南朝勢力(後醍醐天皇側)の中心として活躍しましたが、京都から帰国する際、伊勢国(三重国)で病没しました。享年七十余歳といわれています。
関川寺は結城家の菩提寺で、宗広の開基と伝えられています。ここはかつて結城氏の館だったと考えられる場所で、土塁や堀が遺されています。
(白河観光協会)