紙上説教 2017/4/2
この聖句は『自分が真理求め神を求めたものではない』というのです。そうではなく、神が私を選んで下さったというのです。私たち祝福家庭は神に選ばれ愛され愛し合うべき存在なのです。
日本人的な発想では『神を信じた者は愛される』という考えです。しかしキリスト教的発想は、『愛され赦された者は信じることができる』というものです。私はすでに神に愛された存在であることの自覚に他なりません。
さて世界平和家庭連合では、『神と私とは親子の心情の縁で結ばれている』という自覚があります。 それ程に、神様との心情関係が近いものだと言えます。
では私たちは、その父母なる神様と私たちは何処でお会いするのでしょうか。文鮮明先生は、結婚初夜の夫婦愛の極致において夫そして妻を通じて神様に出会うのです。それが私たち誇るべき祝福家庭であるといえるのです。
私は何処に、神様のみ業を見ることができるのでしょうか。朝の陽ざしの中に、そして夜の静寂の中に見出すのでしょうか。それとも家族や人々の中にこそ見出すのでしょうか。
遠くに居て傍観される神ではありません。神様は、常に私の間近で護られるお方です。夫婦の仲に神様を見出し、子供の仲に神を見出し、家族の仲に神様を見出せる人は幸いな人です。私たちは、自分の心の中に“真の神様”を見出せる者になりましょう。そうすれば、私の存在自体が奇跡であることを知ることができます。私の命が輝いてくることを感じるに違いありません。あたかも我が子の誕生に神様の姿を見たようにです。
祈り